2006年10月15日

ミーナの行進



 ミーナの行進
 小川洋子
 中央公論新社
 2006年4月25日初版
 読売新聞連載・毎週土曜日
 2005年2月12日〜12月24日


 この小説を読んだ印象は、著者が思い出の全て、記憶の全てを書いていることです。
 しかも丁寧に、大切に、普段の作風とは違う・・・読むものを惑わすような文章ではなかった。

 自分の知る限り、著者が現在居住している兵庫県芦屋市で思い出(記憶)をたどっていて・・・最後に持ってきた手紙も実在するものだと考えないわけにはいきませんでした。

 それは、アンネフランクの記憶を著す際に訪ねたヨーロッパで知り合った、著者の大切な人との実際の手紙のやり取りです。 


 そして、この小説は、著者の二つの記憶を重ね合わせた物語だと感じました。
 家族の記憶とアンネフランクの生涯をたどった記憶です、設定した登場人物には二つの役割が与えられていました、自分にはそう読めました。

 朋子は紛れもなく著者自身で、役所に勤める父の自転車の荷台に乗る思い出で書き出していました(著者のお父さんはお役所に勤めています)。
 そして、マッチ箱に物語を紡ぎ、火を点す美奈子(ミーナ)はアンネフランク。

 ミーナに図書館から本を借りてきてあげる朋子は、ミープ・ヒースとしても描かれています。
 無償で尽くそうとする気持ち、ミーナのか弱い体を心配する朋子の視点はミープのものでした。


 そして、ミーナにももう一人の人格が与えられていると思う、著者が思い出を共有する『弟』です。
 こっくりさん、ミュンヘンオリンピックでのバレーボールの応援、そのオリンピックで発生したテロ事件の記憶は著者が『弟』と共有したものだと思う。

 もちろん、登場するフレッシーはプラッシーでしょう、これも幼少時の淡い思い出に違いない、弟とふたりで一本のジュースを分け合った思い出・・・
 だからこそ、朋子は父と母と三人家族の設定だった。

 著者は祖父の営む孤児院の子供たちと幼少期を過ごしていて、幼少期の核家族としての記憶が薄い。
 そんな環境の中でも『弟』だけは家族として識別していた、大好きな『弟』です。


 実はもうひとつ気付いたのは(感じたのは)、朋子とミーナを入れ替えている描写もあった様な気がしています。
 それは、龍一に対する朋子の気持ちで、胸につける下着を気にする心理描写はアンネのペーターへの思慕でした。

 ミーナが清涼飲料水を配達する青年に恋心を抱くのは、著者にあった淡い思い出のような気がしてくる。
 朋子とミーナの役割を、わざわざ入れ替えたのは、著者とアンネをより親密な仲として書きたかったのかもしれない。


 そんな風に、朋子とミーナに複数の人格が設定されていたわりには、混迷することなく読むことが出来たのは、芦屋の豪邸に住んでいた住人にすんなり入っていけたからかもしれない。

 伯父さんはオットーに、龍一はペーターに、伯母さんはエーディットに、豪邸の住人が8人なのは、やはり隠れ家の住人が8人だから・・・と、自分には読めてしまう。

 そして、著者の記憶に刻まれている場所や日付が使われてもいました。
 冒頭からドイツ製の乳母車でした、預けられた芦屋の家には出身が東ドイツとも西ドイツとも言えないローザおばあさんがいました。

 ミーナの兄龍一の留学先はスイスで、ミーナ自身もスイスの寄宿舎学校に進学し、フランクフルトで文学を学び・・・と。
 龍一が帰省した日は、8月1日でした。

 スイスは、アンネの祖母が移住した場所・・・著者はアンネたちがスイスに脱出していれば、と、著作『アンネフランクの記憶』の中で悔やんでいた。

 フランクフルトはアンネ生誕の地です、そして8月1日は最後の日記の日付・・・


 著者が一番書きたかったこと、それはこの小説のタイトルなんでしょう。
 ミーナの行進・・・コビトカバが亡くなって自分の力で歩き出すこと、16歳を目前にして亡くなるわけではなく、アンネが自分の夢に向って歩き出すこと、そして実現すること・・・それが何より書きたかった。

 これは著者の書く動機そのものです、自分の著作の中でアンネの夢を実現させることが。

 著者の気持ちの中にどうしても離れずにある、アンネの日記に書かれていたアンネの夢(意思)・・・
 『わたしの最大の望みは、将来ジャーナリストになり、やがては著名な作家になること


 芥川賞を受賞した時、何故作家を志したのか質問される著者がいて、応える自分に違和感を感じていたことを『アンネフランクの記憶』の冒頭に書いています。

 著者の書く動機は、家族であり、アンネフランクです・・・それ以外のナニモノでもない。


 この本は2005年、読売新聞に毎週土曜日に連載された小説らしい。

 1994年に旅した時に知り合った大切な人から受け取った手紙がきっかけで、『著者の作家になる意思』を辿って行った小説、そんな気がします。

 なんだか著者の集大成のような気がして、もう著者が書かなくなってしまうような・・・まさかそんなことがあってはなりませんね。
 もう次の著作を手掛けていることを祈って・・・

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posted by 雪になあれ at 03:05| 埼玉 曇り| Comment(6) | TrackBack(6) | 小説−小川洋子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
やはりアンネを思われましたか・・。
私もそれをすぐに連想しましたが、こんなにきっちりと符号していくんですね。
読みの深さに感動いたしました。
小川さんの旅は続くとおもわれます。
彼女は小説を書くために、ここにいるような方だから。きっと、小川さんはお話を綴ることをせずにはいられない。だって、それはアンネの夢でもあったのですから。
新作を心してお待ちいたしましょう。
Posted by ERI at 2006年10月21日 23:46
TBさせていただきました。

内容もよかったですが、挿絵も素晴らしくて感動しました。
Posted by タウム at 2006年10月22日 10:41
ERIさんへ
あの沈黙博物館の書評を読ませてもらった時の印象(インパクト)は今でも憶えています。
あの時から小川作品にはまってました。
>小川さんの旅は続く・・・
そう言って貰えると嬉しいですね。

タウムさんへ
TBありがとうございました、この本の挿絵は書評書いている方は皆さん指摘していますね。
あのマッチ箱の絵は著者も気に入っているような気がします。
それほど夢がありました、アンネの童話のように。
Posted by 雪になあれ at 2006年10月22日 23:23
TBありがとうございました。

なるほど!とよませていただき、また小川さんのことをたくさん知ることができました。

私はミーナと朋子は少女大人のあいだをいったりきたりの同じ人物なんじゃないかと思ってました。
Posted by Tomoko at 2006年11月05日 11:02
>Tomokoさんへ
自分もミーナと朋子を重ねて書いている部分があると感じました。
・・・少女と大人をいったりきたり・・・なるほどそうかもしれません。
著者は書きながら膨らませていくといつもコメントしていて読む側は色んな想像ができるんですよね
Posted by 雪になあれ at 2006年11月06日 00:06
雪になあれさま
今日 娘の手で学校の図書館に「ミーナの行進」が戻されました。
返す際 本の一番最後にこの記事を印刷して挟んでおこうかしら?と思ってしまいました。

童話のように、絵本のように、懐かしい本になりました。

またいつか再読したいと思います。

恥ずかしながらTBさせていただきますねm(__)m
Posted by Tomoko at 2006年11月06日 08:44
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