2006年07月31日

凍りついた香り、考えてみました



 まさかとは思ったのですが、昨日書いたとおり複雑にいくつもの話が絡んでいて、理解しづらいストーリーでしたが、よくよく考えてみると行き当たらざるを得ませんでした。

 ただ今回も自分の想像(創造)です。

 凍りついた『香り』が指してるのは、やはりアンネの『日記』です。

 1944年8月1日を最後に、永遠に書かれることのなかった(『凍りついて』しまった)日記(『香り』)。

 そして『弘之』は、ユダヤの人々を指し、著者にとっては、その象徴としてアンネフランクがいるのだと思う。

 亡くなる理由もないのに亡くならなければならなかった・・・

 『弘之』の死を訪ねる『私』は、やはり著者自身になるのだと思います。

 こう考えると、『私』が『弘之』のことを何も知らずに、彼が去って(亡くなって)しまう理由が付きます。

 自分としては、弘之の母もエーディットにすり替えました。

 弘之の生家は瀬戸内海に面しており、これは岡山市出身の著者の生家と重なってしまい、彼の母と著者の母を重ね合わせてると感じました。

 アンネが母エーディットと確執があったことは有名ですが、その母娘の気持ちについて著者は確か『自分にも経験がある』と、『アンネフランクの記憶』の中に書いていたように思う。
 
 だからこそ、違和感のある(不釣り合いな)化粧をする『母』のそれを直してあげて、弘之の実家から帰ってくるのだと思う。

 弘之が家出をする時に、買い物をした無花果が『8個』なのは、隠れ家で息をひそめて暮らすアンネたちが8人だからです。

 その無花果を弘之の母は、貪るように食べ尽くします。

 毎日同じサンドイッチを食べることも、隠れ家で食糧事情が悪かったことを連想しました。

 スケートのくだりは、アンネたちが自由だった頃に楽しんでいたことに繋がり、だからこそ弘之が楽しそうに滑る記憶が周囲の人に残っているわけです。

 そして必然的に訪ねることになるチェコのプラハ、そこはやはり収容所だと考えざるを得ません。

 『私』がプラハで目にするものは、墓地であり、打ち捨てられて山積みのトロフィーです。

 ここまで考えてくると、それが何を意味しているか、想像は容易です。

 日本語の分かるガイドを頼んだはずなのに、叶わないくだりもアウシュビッツを訪ねる著者が書いていたことに容易に重なります。

 数学コンテストでの小事件の真相を解く地下の厨房は、隠れ家の狭い厨房に繋がりました。

 孔雀の心臓を小瓶から取り出すと、弘之が現れ『大丈夫、心配しなくていい』と告げますが、このあたりの描写は死の世界か、あるいは著者のアンネと同じ時間を過ごす夢の世界なのかもしれません。

 『孔雀は記憶を司る神の使い』と言う弘之は、孔雀の模様の容器に入った香水(香り)を『私』にプレゼントします。

 『私』の髪の毛に指を滑り込ませ、耳の裏側に一滴香水を付け、その指は香料の瓶を魅惑的な動きで開けるようになり・・・そして『弘之(アンネ)』の手(日記)は、『私(著者)』の乳房(心)を愛撫してくれます。

 エピローグで描かれる盲学校で過ごす弘之は、アンネフランクスクールで学校生活を営むアンネなのかもしれません、

 こじつけかもしれないが、こう考えると何となくこの話を受け入れることが出来ました。

 この小説が1998年に刊行されたことを考えると、ヨーロッパを訪ねた著者が4年、揺れ動いた自分の気持ちを抑え込んで、小説に著したのかもしれません。

 小説としての構成力や、その世界観はこれまで読んだ氏の作品の中でも卓越してると思う。

 この話を絵画的にのみ捉えるのか、深い意味を理解するのか、まだよく分かりませんが、小川洋子さんの持つ作家としての器量に感心するしかありませんでした。

posted by 雪になあれ at 21:04| 埼玉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説−小川洋子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

凍りついた香り



 凍りついた香り
 小川洋子 著
 幻冬社 1998年5月刊行


 この本は、小川洋子氏の特徴を最もよく表してると思った。
 よくよく読むと話は一貫してるのに、時間軸をランダムにソートされるので、読む側は注意していないと何が何だか分からなくなる。

 これまで読んできた1990年代に刊行された著作は、著者の気持ちが揺さぶられてると感じるものと、自信に裏打ちされた構成力で圧倒されるものがあるような気がする・・・

 そしてこの『凍りついた香り』は後者です、氏が著す独特の世界観をじっくり読まされます。

 自分で想像(創造)しないと、話が全く分からない。
 先日読んだ雑誌『ダカーポ』の特集で、氏は芥川賞作家の人気度で確か10位以下でした。
 いいとか悪いとかでなく、そこが彼女の作風を端的に表してる気がしました。

 
 弘之は何故亡くなったのか、この話の始まりから課題です。

 『香り』が凍りついたから彼は亡くならなければなかったのか、彼が亡くなったから『香り』が凍りついたのか、読み進むと何か出てくるかと思ったが何だか分からないままでした。

 父親の命日に命を落としたとも記述がありました。

 『私』は弘之が亡くなってから、彼の色々な要素を知ることになって、チェコのプラハに向かいます。
 読み返すと、プラハに向かうところから話が始まっていて自分が氏の術中にはまっていたことに気付かされました。

 数学にまつわる挿話があって、弘之の死の謎を追うわけですが、彼の実家にもプラハと同じものがあったりします。
 スケートリンクしかり、温室しかり・・・です。

 彼の実家では、彼の母の精神や時間軸が崩壊していて、弘之は既に過去のものであることを実感します。

 プラハでは、数学コンテスト財団の会場に向かうとそこは廃墟になっていると読める、建物に入ると周囲は墓地で弘之がもらうはずだった『トロフィー』が打ち捨てられて山積みです。

 弘之は亡くなる前日、『私』に『孔雀の羽の模様』のあるボトルに入った『記憶の泉』と名付けられた香水をプレゼントする。
 孔雀は記憶を司る神の使い・・・

 この挿話を受けて、『私』が『孔雀の心臓』を抱くと、コンテストの『時』を訪ね、弘之を救おうとします。

 氏の作品としては珍しくエピローグがあるのですが、これがまた弘之の生前の挿話で、時間を巻き戻されます。
 ただこの盲学校での弘之が実は一番人間的で、これ以外の弘之には生活感がありません。

 まだよく分かっていませんが、やはりこれは弘之の記憶の中を『私』はさまよっているのかも知れません。

 プラハで会う彼は『大丈夫、心配しなくてもいい』と2度も『私』に念を押し、建物は朽ち果てているわけで、プラハでの崩壊した彼の我慢はもう肯定されていると感じました。

 亡くなった理由がないということは、『私』と生活を始めたときには既に亡くなっていたのか?
 
 ?もう少し想像してみたいと思います。
 ホント難しいですね、小川洋子さんの作品は・・・

 プラハのあるチェコはあのドイツのお隣の国、まさかとは思いますが・・・

posted by 雪になあれ at 01:07| 埼玉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説−小川洋子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月30日

ゲド戦記



 原作のスケールが大きいせいか、なかなかこの映画を理解することは難しいかもしれない。
 自分もはっきり言うとよくわかりませんでした。

 ただ、映像が綺麗なことと、全編に渡って流される音楽は良かった。
 やはり、スタジオジブリのスタッフは凄いって事なんでしょう。

 ゲド戦記全編の一部を映像化したようですが、どうも登場人物の背景には、この映画で描いていない時代(という単語でいいのかも自分は?)も織り込まれてるようです。

 これまでの宮崎(駿)アニメとは明らかに一線を画すような感覚、ユーモアや躍動感でメリハリを付ける(観る者を飽きさせない)手法は一切切り捨て、メンタル面で押し切ろうとするこだわりがあった。

 以下、ネタバレありです。

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posted by 雪になあれ at 21:13| 埼玉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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