八日目の蝉 角田光代
中公文庫

テレビ版、映画版と鑑賞してみて、原作も読みたくなりました
読まないといけない気分になってました
原作を読んでみて、どちらも希和子と薫が引き離されるときの希和子の叫ぶ言葉を、いかに演出するかに重点を置いた展開になっているように感じました
あの場面でのあの言葉は作者からのメッセージ・・・母親に至った者だけが発するものとして聞こえる
希和子は、そういう者に至っていたから・・・どの女性も母親で、いろんな形の女性像を描くことで、それぞれの苦悩みたいなもの、思惑、つきまとう理不尽さや不安定さ・・・多彩な情景を描きたかった
原作を読んでみて、改めてそんな風に感じたりしてました
テレビ版、映画版のそれぞれの良さも再認識
テレビ版は、時間枠がたっぷりあるので、じっくり原作をなぞっていることが分かりました
原作ではセリフもなく描写でしか登場しなかった小豆島で希和子に思いを寄せる男に、重要なシーン −あの希和子の言葉− を託しています
原作を読んで、希和子と薫の行き違いのシーンが鮮明に蘇ってきました
あれは、作者も活字にした余韻だったんですね
そして、映画版、希和子役の女優の切迫した演技がやはり印象深い
原作の希和子がスクリーンに居ると思いますね
こちらでは、あの言葉はストレートに描かれていました
薫に重点を置いた演出で、同じ境遇になってしまう薫が、希和子とは同じ母親感を持ちながらも、希和子と異なる選択をし、自信を獲得していく件はなかなか良かった
そしてテレビ版、映画版共通なのは、やはり舞台となる小豆島の風土に癒される希和子と薫の生活感です
島四国の巡礼地を訪ねるシーンは、映像として圧巻です、ふたりが情を深めていく過程の裏付けとして説得力は十分でした
寒霞渓からの眺めは、誰もが訪ねたくなるほど秀逸
テレビ版で描かれていた、薫を置いて希和子だけが急斜面を登っていく札所のシーンは印象的でした
薫が視界から見えなくなってからの、少し登っては薫を呼んで返事で存在を確認するシーンは、観る者の記憶に焼き付いて離れない
原作を読んで、なんだか納得できたというか、満足しました
やっぱり主役は薫でした
あの大切な希和子の叫び、それをいかに表すか、原作では小豆島の「匂い」に触れた薫が記憶を取り戻すことで薫自身の言葉で復元されていました
曖昧な希和子との最後の記憶、東京にいる間はまったく記憶は覚醒しない
そんな薫が不安を抱きながら、あの島を再訪することで、徐々に幼い薫に刷り込まれた小豆島の方言が蘇ってきて・・・ようやく希和子の叫びの記憶まで取り戻す
自分にはふたりの母親がいることを自覚する
なんという余韻の残し方でしょう、原作の構成にやられてしまいました
活字の力を改めて実感した小説でした
映画賞受賞によって、リバイバル上映があるようです
劇場で観たいような気もしていて、年度末の多忙な時期ですが、タイミングが合えば行くようでしょうか?
小豆島の風景、光に満ちた懐かしい風景がそこにあるでしょうから
さてさてどうしたもんか
posted by 雪になあれ at 21:06| 埼玉

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角田光代
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